息子・小柳拓人は、1994 年生まれ、東京都在住、知的障害を伴う自閉症で、平日は会社員として働き、休日はピアニストとして活動をしています。2009 年以降、国際障害者ピアノフェスティバルや自閉症才能コンテストなどでたくさんの賞をいただき、国内だけでなく海外6か国 12 都市で演奏、2019 年にCD「TAKUTO」をリリースしました。演奏の後、お客様から拍手を頂くと、息子は満面の笑みを浮かべます。それはやり遂げた自信や認めてもらえた喜びのようなものにあふれていて、親としても最高にうれしい瞬間です。しかし、20 年前にはこんな未来がくるとは夢にも思いませんでした。
息子は、幼少時、ひどく多動で奇声を発し、言葉の遅れもありました。気持ちを共感することができず「きれいねぇ」「おいしいねぇ」といっても反応がなく、視線も合わず、叱ってもヘラヘラ笑ってばかりでした。
私はどう子育てしていいやら途方に暮れました。しかし、ある時、息子が TV コマーシャルやカセットテープから流れる音楽にじっと聴き入っていたり、歌を口ずさんでいるのをみて、音楽がコミュニケーションのきっかけになってくれるのではないかと思ったのです。
このことがきっかけで、5才半で近所のヤマハ音楽教室(親同伴のグループレッスン)に入室しました。
入室はしたものの息子は先生からの指示にはほとんど従えず、勝手に走り回ったり電子ピアノの下にもぐったりで親としてはつらい時間でした。しかし少しずつですが鍵盤に集中できる時間が増えていき、家でのピアノの練習では自閉症らしい息子独特の練習スタイルが見えました。彼は、毎日定刻に練習を始め、8 時と決めたらぴったり 8 時に始めるのです。7 時 56 分にはピアノの前に座っていても弾きません。
また反復練習が大好きで、「あと3回弾いて」というと喜んでその回数だけ弾きました。楽譜に書いてある指番号も必ずその通りに弾くことにこだわり、ふと気が付くとピアノ学習においては絵にかいたような模範生だったのです。
日常生活では、同じことにこだわり、同じ遊びを繰り返し、スケジュールの変更が苦手でパニックになりましたが、ピアノ練習場面ではそうした特性がむしろ上達の後押しとなっていました。このことから、私は「自閉症の特異なことも、場面や見方を変えれば才能かもしれない」と感じるようになり、息子のいろいろな「特異」を書き出してはそれらの組み合わせによって新たな「得意」のタネはないかと探すようになりました。
そうして次に見つかったのがフルートです。小学校の時、勉強は親のサポートが必要でしたが、音楽の授業でのリコーダーは自力で吹くことができていました。そこに注目して、中学校では吹奏楽部に入部し、楽器は同じ笛の仲間でもあるフルートを選んだのです。友達の理解や協力にも助けられ何とか3年間続けることができ、この経験が後のオーケストラ参加やアンサンブル結成につながっていきました。
また、息子はピアノで速いパッセージを弾くことや指番号を守ることにこだわっていたので、パソコンのタイピングに向いているのではないかと思いつきました。高校1年の時、ローマ字を読むことから始め、2 年足らずで日本語ワープロ検定1級を取得し、この資格が就労に結びつきました。データ入力スピードは一般社員の2倍以上、会社の戦力となり、今年で勤続 10 年を迎えます。
このように、息子はピアノとの出会いによって自己肯定感を高めることができ、そのことが様々な出会いやチャンスにつながっていきました。まさに、「ピアノが息子に翼をくれた」と思っています。
皆様にも、このポータルサイトを通じて素晴らしい出会いが訪れることを心から祈っています。
小柳真由美(自閉症ピアニスト小柳拓人 母)
■「僕のピアノ演奏による僕の物語~自閉症のピアニスト、小柳拓人」(4’55”)
■小柳拓人オフィシャルサイト https://koyanagitakuto.com